Esが出そうだ!本当かいな~

CQCQにも飽きて製作する元気も無くでも暇なので
 何文字かで出来る計算式をエクセルにしました。

 以前から

NICT,Ionospheric Sounding Data in JAPAN
日本国内の電離層観測データ
 http://wdc.nict.go.jp/ISDJ/

 等から得られる、ほぼリアルタイムなイオノグラムを少々計算するとどこの周波数までEs等が出ているか判るらしい?と言うことは知っていたのですが計算が不得意ですので計算したことはありませんでした。

 暇をもてあましている黄金週間の終わりの身ですのでエクセルで表にしました。

 なんか難しい名前で
 「セカントの法則(正割(せいかつ, secant)の法則)」
 と言う計算だそうです。

僕がエクセルで作った伝播計算セカントの法則の表
 https://以前のサイト/modules/mydownloads/visit.php?cid=5&lid=20

参考にしたサイト
 Welcome to Masami Tanabe home page
 http://www.cs.knct.ac.jp/~tana/
 http://www.cs.knct.ac.jp/~tana/Esp/

 セカントの法則に付きましては電波伝搬の教科書にのっています。

イオノグラムからデータを読取下の枠へ入力します。
 臨海周波数(MHz)
 電離層の高さ(Km)

通信目的地までの距離を下の枠へ入力します。
 目的地距離(Km)

すると、下の計算結果が得られるはずです。
 仰角 (度)
 入射角 (度)
 最高使用可能(MHz)

 ひょっと、したら計算が間違っているかもしれません。
 少し、手直しするともっと、面白くなるでしょう。
 出来上がったらみんなにわけてください。

ではまた

コメント:Re: 一周年 那須次郎 重箱の隅をつついて遊ぶ

JR1ING/菊川です

JA5RH森さんのお近くだったのですね。

サイクル20,21は、こちらの設備も500W+20m高の14MHzのモノバンダーでした。春秋は国内も朝から順にJA6,5,4,3と開け始め、一日中ラグチュー三昧。都内なのでインターフェアでは苦労しましたが…

14MHzのSSB。JA5レディオ・ホテール、今でも覚えています。素晴らしい音質でした。
こちらから見ると、5エリアではJA5UYI(JA4HM?)局や当時からネットアナをお持ちだったJA5AZQの曽我部さん、4エリアではいわずと知れたJA4PCの高原さん、JA4BJO松村さん、JA4BEX、JA4AXN、手前の岡山あたりでJA4ZAの尾島さん(でしたっけ)。3エリアまで技術力に長けたOMが59++で並んで聞こえていました。MUFが14MHzを超えるかEsではスキップゾーンが無くなるので、JA1RPKの川名さんあたりとも短時間ですがバリバリでQSOできました。

またアンテナが上げたくなってきました(笑)

一周年 那須次郎 重箱の隅をつついて遊ぶ

昨日の夜
 Webサイト
 那須次郎 重箱の隅をつついて遊ぶ
 http://www.nasu-jiro.net/
 をふと読んでいたら僕の名前が書いてあった、ちょっと、びっくり。

「那須次郎著 重箱の隅をつついて遊ぶ」との出会い
 http://www.nasu-jiro.net/ の元サーバの( http://www.ekurume.com/ の片隅を間借)本来の持ち主であるJA6IMJ池田さんが6mに燃えていたころお兄様のJA6GRXや久留米DXギャングの関係で「那須次郎著 重箱の隅をつついて遊ぶ」を違法コピーで送っていただきました。

 おっと!、これが風の噂に聞いた金持ちの割合にまともな本を書いているじゃないと言うのが第一印象でした。
 僕はその当時、いまより、もっと、もっと、もっと、萌え萌え萌えでかなり色々やっていました。
 狂ったように!(どんなんやねん、、、ほんと・・・う)
 やっていたと言うか追求していました。
 まさに、重箱の隅をつついて遊んでいたのでしょう。

 那須次郎さんのお重と比べるとちょっと、安物だったようですが味はまぁまぁと今でも思っています。

 那須次郎氏に完全に負けていたのは自分でそれなりに頑張っていたのだけどドキュメントとして書き残していませんでした。

 だから、自分の頭の中にしか残っていませんでしたので「那須次郎著 重箱の隅をつついて遊ぶ」と言うまとまった、資料を読んだときちょっとしたオイルショックがありました。

 以前から何回も書いていますが僕には色々な師匠がいます。
 まぁ無理やり師匠を押し付けている場合が殆どですが・・・・
 でも、でも、分野分野で非常に優れている鬼が本当にいるものです。

 まぁ僕みたいなアホに物を教えれると言うのはすごい事です。とか~・・・・

 僕のリニアアンプの師匠はJF1WPR柳橋OMと故JA5RH森OMだと思っています。

 JF1WPRさんとの出会いは、あの50.310MHzで会ってその後ズート電話やその後メールでおしえてもらっています。
 WPRさんには新しい時代の半導体増幅器を色々教えて頂きました。

 JA5RHさんちへは年に何回か遊びに行ったり奥様が旧三瓶町の方だったのでRHさんも良く僕のうちに来たりで教えてもらっていました。

 WPRさんはいまでも年に何回か教えてもらっていますがRHさんにはもう聞けません。

 RHさんには実装技術とプロの部品とアマチュアの部品の違いや物を一杯見せていただきました。

 僕は那須次郎さんとは逆にEimacと言う所にも送信管があるんだと思いました。<ちょっと、うそっぽいね。
 それくらいアイマックの真空管は見たことが無かったです。
 最初に見たのが三十年くらい前にHL2GSヤンさんに新品の7034を二本送ってもらったのが最初のアイマックでしょう。
 あれは何処に言ったのだろう??ヤンさん元気かしらん?

 RHさんは、みんなにリニアアンプを有料・無料で作ってあげたりの中片手まで自分のを作っていたようです。
 逆かしら?

 RHさんに技術の伝授を受けた人間はかなり少なく松山ローカルに一人?二人?とFNXと思っています。
 もっと、遊びに行きたかったですがあとの祭りです。
 突然、逝ってしまうとは思いませんでした。夜も寝ず、DXと製作に24時間するとさすが巨体RHも負けたようです。

 RHさんには本当に色々見せてもらって、こんな物をこう使うとパワーが出るんやって言う感じで見習いました。
 そんな頃、7T40や7T25に憧れました。4B20にもかな?

 とにかく半導体が嫌いでICやロジックなんかトンでもないと言うOMでした。
 RHさんはチャント勉強をした、南海放送にお勤めで、たしか詫間電波高専の方だったと思うので解らん訳ではないのだけどリニアの遅延回路も絶対半導体は使わなかったRHさんでした。

 保護回路が先に壊れたらいかんやろうと口癖のように言っていました。

 海賊版「那須次郎著 重箱の隅をつついて遊ぶ」を手に入れて数年後の1996年に碧南市で行われたミーティングでお会いして本物の「那須次郎著 重箱の隅をつついて遊ぶ」を著者にお頼みしていただきました。
 その時、本当に嬉しかったし、ある種の優越感がありました。
 その前後に著者さまのお父様が亡くなられたと言う悲しい時間もありました。

 と言う事でネットの時代になっていつでも正規版の「那須次郎著 重箱の隅をつついて遊ぶ」を手に入れて読める時代になりました。
 疑問があったらメールで質問も出来ます。

 皆様も一杯勉強して新しい時代の重箱の隅をつついて遊びましょう。

de JA5FNX / 田村文史郎