あの日の朝
地響き的なうなりと共にゆれた。
ビックリしてとびおきた。
毎年、何かぼやいているが毎年大きな進歩は無い。
災害時に使える設備を構築しようと思っているがあまり進歩していない。
しかし、はや19年、愛媛新聞八幡浜支社長だったJA5EBW武智さんに僕の思いを現地に伝えようとファックスを送ったのはつい最近のように思える。
現地で赤ちゃんの暖かいミルクが作れないと言うのでそれの策だった。
そのEBWさんもずいぶん前に亡くなった。
姪のあやちゃんに連絡が取れずに大変だった。
東北はまだまだだ。
応援のしようも無いが僕らが出来るのは非常時に使える無線設備と通信技術を維持して行くことしか無い。
もちろん非常時は無いにこした事は無いから。。。。。。
鈴木肇氏(JA1AEA)さんが運用された非常通信1964年06月16日新潟地震(マグニチュード7.5)から実際に受信して知っているが・・・・・・・。
JA5FNX/田村文史郎